2013年7月12日金曜日

無口の中身

2011年3月9日の家の写真


















2011年3月13日頃、友人に送ってもらった衛星写真




















2013年5月5日の家の写真





















福興会議
のサイトが新しくなったことに伴い
「このあしもとにつづく」もこの新しい場所に引越しを
することにしました。

引越し作業をしながら、読み直し、
記事を書こうとこれまでを振り返ると、
とても大変な気持ちになりました。
自分で自分のかさぶたをはずして
傷を開くような作業でした。


□最近のこと
今年から仕事環境が変わり、新しい環境の中では
私は「仙台の人」になっています。
新しい環境の場所も津波被害があり、避難所になりました。
避難所の生活や市政の違いはそれぞれ全く異なり
これまでに聞いたことのない話を伺いました。

「仙台の人」、沿岸の別の街からは仙台は今では
被害が少ない街と見られているように思います。
仙台も津波被害があった場所ですが、街中が日常を
取り戻しているので、そのような見られ方になるのでしょう。
私の出身は石巻で家族も家も亡くしていますが
今の住まいが仙台なので「仙台の人」ということになっています。
震災の話をよく伺っていると、
「あなたは仙台にいたのだから大丈夫だったでしょ」
というような判断を最初にされます。
そういう場合は「仙台の人」として、話を聞くことにしています。

被災は今住んでいる場所によるものではないこと
被害の大きさがショックの大きさではないこと

通電が早かったところはテレビによって津波の状況を
いち早く知り、何度も繰り返される映像で
心を痛めた人も多かったと思います。
思い出して何も言えなくなってしまう人もいます。

一方、避難所対応をした場所では特に
今、日常が落ち着いた中で振り返りを初めてしていて
さまざまな思いをよみがえらせ、
自分のあしもとしか見えないくらい
あふれている状態です。

あふれた気持ちはうす闇のような中でさまよい、
ぐるぐるとまわっているように見えます。

あふれた気持ちを聞き出していると
自分の言葉で「語り直す」ことが今、必要なのではないか。と
それは自分で発することはむずかしく
誰かに糸を引いてもらうように聞き出してもらうこと。

また遠くへ引越しをされている方もいて
今の場所性は薄れていると思います。
それぞれがそれぞれの喪失を抱えている中、
気持ちの時差が距離を広げているように思いました。

その距離を縮めるにはどうしたら良いのだろうか、と
時に悩んでいます。



□母の母の記憶メモ
・田んぼ、七反歩を麦にして、麦踏み嫌だった。鶏っこの家に売った。
 まむし、黒いのいた。
・(10年前に亡くなった)おじいさんはレコードをたくさん持っていた。
 「あの人はもの持ちがよかった。でも亡くなった時にひろゆきに全部捨てられた」
・「地震のどきに前山まで井戸の水くみに行っでがら右腕いでぇんだ」
・「水くみしでだら、「裕子ちゃん死んだんだって」って言われで
  信じられない。ひでぇひとだちだ」



□家のこと
6月の始めに三回忌を行いました。

式とは死の体験にふれること。
同時にその人の生の時間に触れること。
そして家族の時間を共有すること。
死を共に想うことだ。

父の家では未だに遺影は祖父と祖母しか飾られていない。
家を出るときは茶の間の電気をつけて出る。
(人がいそうな気配を出したいのだろうか)

父は母の母に母と妹と弟の話をされることを好まない。
思い出して大変な気持ちになってしまうことを恐れているのだと思う。
その気持ちはとてもよくわかる。
祖母は話して思い出して、母の子ども時代にまでさかのぼって話して、泣く。
一緒に思い出を話したいのだ。
その気持ちもとてもよくわかる。




ふつうの日常のとは何か。
失ってあることがふつうになってしまった。
ふつうというのは何なんだろう。

震災は当たり前にあって、
誰もが被災者になりえ、支援者になりえる。
震災は起きた後の話ばかりになるけれど
これからの話でもある。


震災後の2年と数ヶ月の間、
震災によって得たいろんな出会いがあって
楽しいこともあって
首をかしげるような事柄もあって
やっぱり「絆」とかはわからなくて
私や家族は全体的な気持ち雰囲気よりも
細々とこれからどうやっていくか、みたいなことが重要で
人のつながりはとてもかけがえのないものだけれど
身近にいた人が亡くなって亡くなったことが
未だに信じがたいことで
それが徐々にわかるようになるのかな、というところ。
わかりたくないような気もする。



□2年くらいでわかったこと
震災後、被災した場所で
復興と名のついた、いろんなイベントやプロジェクトや
時にはアートで、歌で救おう、みたいなこともあったけれど
それらは(直接的には)何も救わないし、復興しない。
もしかしたら、そのイベントによって知り合う機会も
あるかもしれないし、良くも悪くも話題にはなって
会話の種にはなるかもしれない。
一過性のお祭りのような連帯の時間よりも
紡ぐような時間と会話をする時間をつくること、
例えば、歌を聴くだけではなくて、会話をすること、
となりで身近で気持ちをシェアする時間をつくることが
大事なことだなと思いました。
種を植えて水をあげて育てるようなプロセス、
それは人と人でしかできない、会話を重ねて
できること。



2013年7月11日
川村智美