2012年5月13日日曜日

あなたならどうしますか

























ちょうど一年前、ようやく泥が干上がってジョンがみつかった。
やせ細っていたのに波にのまれたらアザラシみたいにまるくなって横たわっていた。

私の家はまた草原の季節を迎えた。
真っ新な、ただの土地になっても私はここを家と呼びたい。
一年経っても隣りの幼稚園はそのままだった。
墓参りに行くときは必ず家族が見つかった場所に立ち寄るようにしている。
家族が見つかる度に遺体安置所で渡される死亡届を手書きで複写した。
死亡届には場所や時間が書いてある。
見つかった場所は人の家の1階や公園や会社とばらばらでそこに行くと
家族に近づけるような気がする。




私の家は家とビニールハウスと管理していた神社と墓があって、縦長に広い。
復興計画によって産業用地として住めない部分と道路になる部分と
居住可能な部分と三つに分けられる。
管理していた神社はなくなって、墓はこわれたままだ。
一昨年までは石巻川開き祭りの前日祭としてこの神社で供養祭を行っていた。
供養祭を行っているからといって、公的に重要な何かではない。
公的に重要ではないが、今後については町内会や神社関係者の思いを汲みながら
考えていくことになると思う。
神社は元の場所に建て直すことは不可能に近く、父は私に
「(居住可能な区分にある)墓を直して神社をそばに建てて公園にするとか・・・」と
これまで誰かと話したことを着地点がないまま言った。そして私に
「あなたならどうしますか」と聞いた。

そこにはまた家が建つのだろうか。
わたしたちはまたそこに住みたいのだろうか。
その場所のこれからについて何にもリアリティが持てなかった。
戻ったところで戻らないのだ。

先日、明け方に母の母、おばあさんから電話があった。
「思い出したから電話した。たかちゃんが亡くなってね・・・」
私の知らない交友関係の話。きっと母は知っている。
母の日ということもあって会いに行くと、亡くなったのはたかちゃんではなかった。
いつの間にか夢の話になっていて
「鹿又のあねさまの夢を見だら智美が来たのよ。
 あねさまが裕子(母)どこ行っだのって言っでたわ。」

おばあさんの中で母と私が重なり始めている。


私の役割はきっと現状のままでは何の役にも立たないことだけわかる。
「あなたならどうしますか」という質問にはまだ答えることができていない。



2012年5月13日
川村智美

2012年5月9日水曜日

13ヶ月と25日目

























13ヶ月と25日目に墓参りに来た。
家のすぐとなりにある幼稚園の扉が開いていて
中に入ることができた。
この幼稚園は私が通っていたところは家の目の前にあり、
となりに移って新しく建て直したばかりだ。
基礎が地下1メートルくらい深かったとか
頑丈な鉄筋コンクリートであるとか
そのおかげで流されなかったとか
一年前は言われていた。
この幼稚園以外、周りの家、コンビニはほぼ流された。
二階に上がると床上1メートルくらいまで
波が来ていたことがわかる。
窓ガラスが割れていないので一旦上まで水が来て
引いていったのだろうかと推測する。
この二階には園児と職員と住民合わせて24名が避難していて
3月12日に救助された。

二階の窓からは私の家やビニールハウスが流されるところが
見えたのだろうか。


2012年5月9日
川村智美
2011年5月7日