2012年3月7日水曜日

このあしもとにつづいている



























5月から書いている言葉はその時その時のもので
今の私からはその時の身体感覚が薄れている。

街が戻って、何事もなかったように
ふと前の自分に戻っていく人もいる。
そして、あの日は「出来事」として収まっていく。
また
あの日から一年が経って、
何事もなかったように過ごしていた人は
パチンとはじけて闇にさまよってしまう。
見えないものはわかりにくい。


弟の友人から「晃弘は今どこにいますか」とメールをもらう。
お寺のお墓に眠っています。どうか会いに行ってあげてください。
と返すと「必ず会いにいきます」と言ってくれた。

仙台と石巻とお寺から式典のご案内をいただいた。
今、仙台に住んでいる父は石巻には行きたくなさそうで
そしてマスコミがいるのが嫌だと言った。
それでも追悼式典には行こうと思っているようだった。

イベントや特集で出てくる「3.11」や「一年」は
何かの区切りのような数字に見える。
その日が来たからといって区切りになるわけではないのに
その日が来たから区切りにしようというのか。

あの日の母からのメールは15時24分を指している。
でも私が受け取ったのは20時過ぎで
母は私にメールを送って30分後に流された。
母の時間と私の時間の間、
思いは通じなかった。

泥の中を歩き、泥のにおいをかいだ。
家という瓦礫の中に入り、家族を探した。
弟の写真がみつかるまで少しでも希望にすがりたかった。


3.11に何をしていたかが語られるように
数日後の3.11にはどこで何をしているかが沸き立つのだろう
あなたがどこで何をするか、より、
亡くなった方へそっとこころを寄り添うだけでいいのに


何かで形作られていく「3.11」の中、
出来事として形骸化してく「3.11」の中、
私はいつでもあの日の中にいる。


2012年3月7日
川村智美