2012年2月6日月曜日

シャネルの思い出

母は短大を出た後、2年間会社勤めをしてお見合い結婚をした。
結婚する前は化粧品や香水をよく買っていたが、母が母になってからは、
嫁入り道具である臙脂色の塗りの鏡台の引き出しの奥に追いやられていた。

その中に古びたCHANEL No.5があり、使われていないのにずっとあるので
「何であるの?」と母に聞いてみたことがある。
母は
「うちのお父さんはさ、香水はだめだし、化粧も嫌がっているんだけど」
「でも持っていたら、いつかつける日があるかもしれないじゃない」
と何かに期待するかのように言って、そして
「代わりにつけてもいいよ」
と私に言った。
その時の私には大人すぎる香りであるし、
時間の経過で成分が変わっていることが見てとれる。
女性としての母の期待が、思い出が、ぎゅっとこもっている香水瓶は
どこか寂しげな様子でしまわれていた。

その後、鏡台は私がいなくなった部屋で眠っていたのだが、
津波にあって、そのあとは欠片もみつからなかった。
私の部屋のものは何一つ、ピアノさえもみつからなかった。
私は今ままで帰っていた自分の部屋がどうだったか、忘れかけている。

毎月、もう更地になっている家に帰ると
自分の家がどうだったか思い出そうとするが、
すぐには思い出せなくなってきている。

誰かが家族の話をしてくれると、自分の家族を思い出せる。
父と私は共有している家や家族の記憶が少なくて
お互いに引き出し合うのがむずかしい。

気仙沼に行ったとき、友人が
「建物や道路が直るのが早すぎる」と言った。
「人のこころはその早さには合わない」

瓦礫と言われるのは、かつての日常である。
破壊された日常を見たくないという人もいる。
重機や機械で短時間に整備していくのは
システムとして必要かもしれないけれど
あっという間になくなって、更地になったその場所は
もはや、津波があったことも、
そこに住んでいたことさえもなくなったような感覚になる。

記憶がなくなっていることを知る怖さ


先々月、父が突然、台湾へ「気晴らしに」と叔父と一緒に旅行に出かけた。
帰ってきて、お土産にと渡されたのは、CHANELのパフューム。
たぶん、父は母のCHANELの香りを知らない。
ただ母がCHANELを父の言葉を真面目に受けて、つけていないことや
いつかその機会があるだろうと思っていたのは知っていたのだろうか。


私にとってCHANELは
母の香りになれなかったCHANEL No.5である。


2012年2月6日
川村智美