2011年12月31日土曜日

奥の底の























今日は(母方の)祖母を連れてお墓の掃除をしに石巻に行きました。祖母は旧河南町の北村という内陸部・山の中にお家があります。
母の弟と一緒に暮らしていますが、普段あまりいないので、足がなく
迎えに行ったら「墓参りに行きてぇ、行きてぇと思って言っても、行けねぇんだ」と
お墓参りに行けることで、心が少しだけ軽くなったような表情をしていました。
「(お墓で)待ってんだがらねぇ」と。
いつもですが、車中の話もお昼ご飯の話も娘である母のことばかりでした。
私の家は古くて厳しいしきたりみたいなものがあって、
母は(多分、うちに入った女性はみな)とても苦労しました。
ここ数年でやっと祖母に自由に会いに行けるようになっていました。
母と祖母にしかわからない話がたくさんあります。
その思い出話を聞いていました。

しきたりが生活習慣のようなもので、
身におぼえることができればよかったのかもしれないけれど
理由や過程がわからないルールみたいなものとしかとらえることができず、未だに
弟が家に戻らなければならず、そして戻ったばかりに、
津波にあってしまったことが悔しい
でもそれは責めることではない

一月一日は妹の誕生日です。
毎年、初詣に行きがてら、お昼ご飯は外食にして、帰りにケーキを買って夜に食べます。
初詣では私が妹と弟を誘って記念撮影をします。

二日には町内会の高校生や大学生による獅子舞が家に訪れます。
毎年、ビデオに撮っていました。
彼らが今、どこにいるかはわかりません。

今日は大晦日で、家に帰れず、父の顔を見ました。

年末は「実家に帰るの?」とよく聞かれるものですが
これから帰る家はどこになるのだろうか、と。

父は農家で農協の復興計画に関わることになり、もともと持っていた田んぼを埋め立てて
ビニールハウスを建てる準備を進めていました。

進んでいくものと立ち止まるもの。

父の顔を見ましたが、奥底は見ることができませんでした。
自分の奥底も見ることができません。


いつか、もう少ししたら、見ることができるでしょうか。


2011年12月31日 川村智美

3月16日に願っていたこと。おまじない

2011年12月7日水曜日

無言のピアノ























山形市で津波にのまれた石巻のピアノと会ってきた。
向井山朋子さんの「夜想曲」


ギャラリーはうっすらと津波のあとの匂いがする。
3月の石巻の匂いに似ている。


空間に2台のピアノ。
波にのまれたピアノにはずっしりと泥が堆積している。
泥は乾いて砂になっている。
何も言えなくなってから、何も言えないまま時間が経過している。

床に膝をついてピアノに顔を突っ込み匂いを嗅ぐ。
砂になった泥からはあの時の匂いがした。

脆く崩れやすくなった<あの時>の泥は
風化していく<あの時>のように、風が吹けば
どこかへ飛ばされてなくなるだろう

津波で流されたものはかつての日常であった。
泥の中でみつかった、のまれた日常。生きていた時間。

元に戻ることが復旧なのか、
移りゆく流れゆく日常で震災という言葉が終わっていく中で
<あの時>をピアノは無言で物語る。


私は津波にあいたかった。あって、わかりたかった。
足がなくなって横たわったピアノのそばであの時を思う。


見えない波にさらわれた私は
黒い水の闇の中にずっと手を伸ばしている。


2011年12月7日
川村智美