2011年6月16日木曜日

最後のひとり






















最後のひとりがみつかりました。
6月10日に発見。新館一丁目(有)○○○付近、瓦礫撤去中にて。C-2046
今年に入って、おじいさんは一時危篤状態だった。実は一番初めに諦めていた。
全然みつからなくて、この三ヶ月めに、葬儀に間に合わせるかのように
現れるところが遊び人のおじいさんらしい。

母の友人からのお手紙を読む。
葬儀に行けなくてごめんなさい。とあって、母の話が書いてあった。
母は「やまちゅう」と呼ばれていたらしい。
私が生まれたときは
「痛かったあー。もうお産なんて二度といやだぁ。」と言っていたそうだ。
でも私たちは三人姉弟になりました。

私たち三人はドライな関係ながらも毎年元旦には写真を撮った。
私が半ば強制的に撮らせていたようなものだが、二人ともわかっていた。
ただ今年が最後になるとは思わなかったけれど。


ーーー
 「足が痛い、腕が痛い」と体調はギリギリだったと思いますが、
 自分のことより子どもたちの心配ばかりしていました。智美ちゃんは
 「自分のやりたいことを見つけたようだけど、いつなくなってもおかしくないみたい、
  どうしよう」
 と暖かく見守っていました。

 長くなってしまってごめんなさい。もっともっと書ききれないくらいの
 たくさんの思い出をもらいました。
 今年の八月も三人で温泉に行きたかった。
ーーー

私が何を考えて何をしていたか、なんて伝わっていない。
作品は見てもらっても全くわかってもらえなかった。
かろうじて最近はいろんなものを引き合いに出して説明して
なんとなくわかってもらえて、でも結局心配だけさせて終わってしまった。

3月21日
(あえて)今日は春分の日でお彼岸、墓参りの日。そんでもって私の誕生日ですが、
みんな見つかったらお誕生日することにします。
と書いていた。

お母さんありがとう。

本当はたくさん泣いたほうがいいのだろうけれど
なかなかむつかしい

2011年6月16日
川村智美
memo

2011年6月13日月曜日

オロカについて





















母の友人から郵便物が届いた。
お香典と何枚かの便箋が入っているであろう厚い封筒。
私はその手紙を開けられずにいる。

三ヶ月、ずっと走っている。ような気がする。走らずにはいられない。でも
走っていることを言い訳にしっかり受け止めることをやめている。

とうとう「心の整理をしないとね」とまで言われてしまった。

整理をしないまま、遠くに置きながら、
ここで言葉を紡いでも、ただこの場が
家族や死を利用した自分の話になっているような気がする。
家族が望んでいるとは決して言えない。
家族の友人たちの困惑を招き、傷をこじ開けるようなことにもなっているかもしれない。
この場がそうであれば、私は今おろかな行為をしている。

ただただ走って
現実を見ないようにしている
オロカな目

家族や死への綴りが作為に結びつく
オロカな言葉

静かに想うことができないでいながら
家族について書いている
オロカな私

















片付けられない部屋の中で、

あの日によって新しく生まれたものがある。
会うはずがない出会いがあって、いつでも会えると思っている再会は必然になった。

私はオロカであっても、あの日生まれたものは大切にしたい。
当たり前のこと。あいさつをすること。だきしめること。
普段なら会わない人たちが、一緒になって働いていること。
ずっと大事にしている作品を体験してくれる人たちがいたこと。
私に音楽を届けてくれた人がいたこと。


2011年6月13日
川村智美
AKA

2011年6月1日水曜日

消費される喪失






















被災地で鎮魂のために踊ってもらうという企画がある
何カ所か場所を提案してほしい

という依頼があって
仲介者はその依頼への回答の報告がてら
「○○や○○、○○とか」
と津波がひどかった場所をあげ、そして
「あなたに言っていなかったけれど
 あなたの家の跡で踊ってもらうとか・・
 断ってもらってもいいけど」
と言った。
「もちろん断るつもりだよ」
即答した。

私と会話もしたことがない人にそんなことされたくない

泥と肥料と瓦礫がまざったその場所は
かつて家があって人がいたその場所は会場ではない。

津波が来たその時、
最後に見た風景は 音は 何をおもって往ったのか

怒りで涙が止まらなくなってしまった。


被災地のために
鎮魂のために
~のために

「~のために」を命題に
様々な長さの距離や温度差を持って人や企画が訪れる。
私は「大丈夫じゃなかった人」として
その度に、蓋をこじ開けて、失ったものについて説明をする。
繰り返していくうちに、内容は端的に伝わるように編集される。

「命題」や「慣れ」が「失ったもの」を消費していく。

失ったものについて知ってもらうことは必要かもしれない。でも
「大丈夫じゃなかった人」として生きるのはけっこう大変で
説明で喪失を認識しながらも
説明で喪失が軽骨になっていくような気がする。

私は「ふつうのひと」「大丈夫なひと」になりたいけれど
きっとそれは叶わないので

あの日をなくしては
あの日失ったものをなくしては生きてはいけない


2011年6月1日
川村智美
Homecoming