2011年5月22日日曜日

もう、よばない名前






















お坊さんに戒名を考えてもらうため、5人それぞれの人生についてまとめている。

祖父はまだ行方不明だが、三ヶ月経つと、死亡という扱いになるらしい。
三ヶ月はちょうど100ヶ日になり、それを区切りにお別れ会をしようか、となった。

仮埋葬の約一ヶ月後に火葬ができることになったが、
4人分は一日にできないので二日かかった。
仮埋葬は行政がしてくれるが、火葬をするために
掘り起こすのは自分でやらなくてはならない。
石巻で8時にクレーンを呼んで掘り起こし、仙台に戻って、葛岡斎場へ行く。

弔うには人手がいる力作業があって、お金もかかって、
システムがあって、何かの区切りを待って
なんだか淡々としている。

棺は大きな石がごろごろ混じった土の重みで壊れていた。
弟の棺からはまだ血が流れ続けていた。

あきひろはくやしかったろうね。
生きたかったろうね。
みんなに会いたくってしょうがなかったんだね。

とうとうと流れる血は東京から駆けつけてくれた友人たちへの
気持ちのような気がしてならない。

抱きしめたかったな。
いっぱいいっぱい抱きしめたかった。

あきひろ

あけみ

おばあさん

お母さん、おかあさん、おかあさん
もう、よばない名前


これからの名前のために生きた時間を想う。


2011年5月22日
川村智美
Mother

2011年5月12日木曜日

おやすみ、ジョン






















この原稿と向き合っているのは、あの日から二ヶ月後、
泥が干上がって、庭にいたジョンがみつかって、
それを一人で妹のガーデニングのシェベルで、
波で流された肥料やヘドロ、土と言えない土を
かき集めて埋めた日の次の日の今日。

私は家に帰ればジョンを撮る。

おやすみ、ジョン。
おやすみ、ゴンスケ。
おやすみ、ボス。
いろんな人にいろんな名前で呼ばれていた。

おやすみ。連れて行けなくてごめんね。
と言いながら最後に撮った。

私がカメラを向けているときは能面をかぶっているような、
自分の感情がいなくなっているような感じだ。

水が引いて、家だったであろう瓦礫を見つけた日、
父が「カメラを持ってきたか?」と聞いた。
私は「え?」と聞き返した。
父は「写真を撮れ」と言った。
「俺が助かったところと家とこの風景を撮っておけ」と。
「あそこと、あそこと撮っておけ」と・・・。

私は何も言わなかった。
けれども、カメラがあったから私は正気でいられたと思う。
カメラといってもiPhoneで、大きなレンズを持ってこの場所には入れない。
探すことに必死だった。
少しでも家の断片をみつけたかった。

私の中で確実に失ってできた空洞がある。
遠くのところに置いておいて、時々引っ張り出しては、撫でている。
この空洞は失ったものそのものだ。

かなしくもいとおしい。


2011年5月11日
川村智美
John